
東京国立博物館で「縄文 一万年の美の鼓動」展を見てきた。チラシにある「ニッポンの、美の原点」というキャッチフレーズには違和感もあったが、縄文土器の持つ迫力はつまらないナショナルな思い入れを超えたものがある。国、国境とか、民族とかの政治的な枠組みにとらわれない鑑賞ができるのもまた魅力である。
今回の展示は、
第1章 暮らしの美
第2章 美のうねり
第3章 美の競演
第4章 縄文美の最たるもの
第5章 祈りの美、祈りの形
第6章 新たに紡がれる美
の6つのコーナーに分かれている。
第4章がいわゆる国宝6点の展示である。「火焔型土器」「縄文のビーナス」「縄文の女神」「仮面の女神」「合掌土偶」「中空土偶」はいづれもどこかでみたことがある。しかしやはり一堂に並べると突出した迫力を感じてしまう。
だが、優れているのはこれらだけではない。このことを認識するだけでもこの展示を見た甲斐はあると思う。
縄文土器というと地域の博物館などでその土地で出土した縄文土器と、そして典型的な火焔型土器などを書物で見て、その造形に不思議な思いを持つ程度である。年代や地域の特徴について概観できる展示というのはあまりない。国立博物館の使命としてこのような展示は必要かと思われる。実は弥生時代の土器をはじめとした器物などについても同じようなことは言える。地域差、時代差、相互影響などについては専門家の範疇に委ねられてしまっている。
だからこそ「ニッポンの、美の原点」などといわれても私などはピンとこないのだが、ふだん接する機会のない人や、小中学生にとっては「日本の美の原点なんだ」と思ってしまう。
肝心なのは「日本」という国家的枠組みも、文化的枠組みも、民族的範疇もそれは日本という国家が成立して作られたものである。あるいは時間軸と地域を広く取ったとしてもせいぜい国家にいたる胎動が始まった以降のことであろう。「日本語」の成立と国家の成立はまた別問題でもある。大陸との交流も北方と南方、朝鮮半島経由とオホーツク経由、南島経由と多方面であり、言語も地域ごとの言語が複雑に影響し合っていたのであり、統一はされていないはずだ。
そんな中で縄文土器に共通の背景や、その時代の人びとの意識や規範、祈りの形、生活の形を知る手がかりが縄文土器に豊かにふくまれている。そしてそれは遂に国家形成に飛躍することなく、弥生文化にとってかわられていく。北海道は続縄文時代へと続くが、オホーツク文化などとの接触で別の発展過程に至る。
先ほども述べたが、オホーツク沿岸から北海道、本州、四国、九州、琉球弧にいたる広範囲の地域と年代を概観する展示はこれからも機会あるごとに期待をしたいものである。ただし今回の展示では北海道に縄文土器への言及が少なかったのは残念な気がする。
また縄文時代といわれる時代区分はまだまだ流動的な要素が多いのだが、同時に世界史的な位置付けもまた専門家でないとなかなかわからない。
今回世界史的な観点からのコーナーは第3章「美の競演」である。縄文時代と同時代の世界各地の土器を中心とした展示である。各文明・各地域数点のみにかぎられた展示なので、これらを持って縄文時代と世界各地の比較検討はとてもできないのだが、試みは是としたいと思う。
縄文時代が結果として「国家成立」へと向かわず、中期の火焔型土器という異端的な発現の後、その形も素材も用途も装飾も飛躍することなく衰退していく過程は、世界史的な比較の中で論じられることで研究成果も変わるのであろう。そのような期待を込めて評価をしたい。