
一応作業の見通しが立ったので、昨日は少しばかり読書タイム。
8月、昭和の戦争の時代、現在の時点でどう向き合うか、特集記事を組む文芸誌が多くなる。文学者も戦争に敏感である。今年は短歌誌「花壇8月号」(本阿弥書店)を購入してみた。
特集は「戦争前夜の歌―戦後の臨界を考える」。6名が短い批評文と気になる歌を引用・批評している。
石川啄木の「人がみな/同じ方角に向いていく。/それを横よりみている心。」を引用したのは松村正直。「戦争は大多数の国民が賛成して始まるのではない。一部の政治家や軍部が勝手に戦争を始めるといったものではない。私たちの暮らしのすぐそばに戦争への扉は開いている」。
大井学は「どんな活動も少しずつ積み重ねていくことで、やがて大きく状況が動く。戦争はある日突然始まる。積み重ねられた不信によって人の言葉を聞かなくなる日、それが始まり」と記し、「ドローンは無人機なれど待ち伏せといふ悪意もち人を撃ちたり」(栗木京子)を引用。無人の殺人兵器で生身の兵士が殺される。無人機の操縦もシステムも人が作った「悪意」であることに違いはない。悪意が悪意として認識されなくなる時が怖いのだ。
「風に運ばれる一本の毛髪がゆっくりと地に落ちた瞬間、引き金はほんの些細な風の動きであったし、いつもが戦争前夜であり得た」と加藤秀彦。引用歌は松本典子の「だれのための〈慰安〉〈接待〉たたかひの火蓋を切るのはいつも男で」。
一方で次の言葉もよく聞く。「戦争を始める者は決して戦場に行かない」。付け加えるならば「戦争を煽る者、死を美化する者の大半もその責任を取ったことはなかった」。
先日亡くなった私どもの労働組合の退職者会の会長も、歴代の会長と同様、平和への思い、憲法9条を守ることへの思いはきわめて強いものがあった。その思いを噛みしめている。「自治労は連合に行くことで、戦争への加担者」などと罵詈雑言を浴びせ続けられたが、その後の私たち単組の動きは、そうでないことを示している。退職者会も同様。
私個人は、偉そうに声高にいうことはしない。たとえ控えめでしかなくとも、私も筆を折ることはしたくない思いは強い。
政治家が非論理化し、人との対話や議論、手続きを軽視する手法自体がまかり通る時代におおいに違和感を感じている。戦争や平和を語るだけで罵詈雑言が飛んでくる恐ろしい時代に突入しいる。
退職者会という場ばかりではなく、可能な限りいろいろな場面に顔を出して、時代と対峙したいもの。





