Fsの独り言・つぶやき

横浜市在住。一応理系卒。音楽・美術・文学・政治などをつぶやく。60歳定年退職。膝・腰痛で登山を65歳で断念。現在は街中ウォーキング。

雲行きの怪しい時代と向き合う

 

 一応作業の見通しが立ったので、昨日は少しばかり読書タイム。

 8月、昭和の戦争の時代、現在の時点でどう向き合うか、特集記事を組む文芸誌が多くなる。文学者も戦争に敏感である。今年は短歌誌「花壇8月号」(本阿弥書店)を購入してみた。

 特集は「戦争前夜の歌―戦後の臨界を考える」。6名が短い批評文と気になる歌を引用・批評している。
 石川啄木の「人がみな/同じ方角に向いていく。/それを横よりみている心。」を引用したのは松村正直。「戦争は大多数の国民が賛成して始まるのではない。一部の政治家や軍部が勝手に戦争を始めるといったものではない。私たちの暮らしのすぐそばに戦争への扉は開いている」。
 大井学は「どんな活動も少しずつ積み重ねていくことで、やがて大きく状況が動く。戦争はある日突然始まる。積み重ねられた不信によって人の言葉を聞かなくなる日、それが始まり」と記し、「ドローンは無人機なれど待ち伏せといふ悪意もち人を撃ちたり」(栗木京子)を引用。無人の殺人兵器で生身の兵士が殺される。無人機の操縦もシステムも人が作った「悪意」であることに違いはない。悪意が悪意として認識されなくなる時が怖いのだ。
 「風に運ばれる一本の毛髪がゆっくりと地に落ちた瞬間、引き金はほんの些細な風の動きであったし、いつもが戦争前夜であり得た」と加藤秀彦。引用歌は松本典子の「だれのための〈慰安〉〈接待〉たたかひの火蓋を切るのはいつも男で」。

 一方で次の言葉もよく聞く。「戦争を始める者は決して戦場に行かない」。付け加えるならば「戦争を煽る者、死を美化する者の大半もその責任を取ったことはなかった」。

 先日亡くなった私どもの労働組合の退職者会の会長も、歴代の会長と同様、平和への思い、憲法9条を守ることへの思いはきわめて強いものがあった。その思いを噛みしめている。「自治労は連合に行くことで、戦争への加担者」などと罵詈雑言を浴びせ続けられたが、その後の私たち単組の動きは、そうでないことを示している。退職者会も同様。
 私個人は、偉そうに声高にいうことはしない。たとえ控えめでしかなくとも、私も筆を折ることはしたくない思いは強い。
 政治家が非論理化し、人との対話や議論、手続きを軽視する手法自体がまかり通る時代におおいに違和感を感じている。戦争や平和を語るだけで罵詈雑言が飛んでくる恐ろしい時代に突入しいる。
 退職者会という場ばかりではなく、可能な限りいろいろな場面に顔を出して、時代と対峙したいもの。

 

 

ようやくひと息

 退職者会ニュースの印刷が終わり、私の属するブロックニュースの原稿も2/3ほどが出来上がった。こちらはA4の両面で、活字も12ポイントと大きいので、割と早く目途がついた。
 日曜日のうちに原稿を打ち出し、月曜の朝一番で組合の会館にて印刷邸。100部ほどなどですぐに印さできる。紙折りも必要ない。
 あとは2名の会員に短い親書を作り上げて準備は終わるはず。

 昨日は、夕方二人で買い物に出かけた。買い物途中から時々雨がぱらつき始めたので16時ころにタクシーで帰宅。帰宅したとたんに雷がしつこくなり始めた。特に近くではないので、気分的には雷の轟く音を楽しむゆとりがあった。近くで聞く羽目になった人には申し訳ないが、遠雷の轟きは、どこか爽快感が伴う。
 ただし蒸し蒸しと湿度が高く、体が重く感じた。
 雨はそれほどではなかったが、レベル2の大雨注意報・土砂災害注意報が出た。さらに竜巻注意情報も配信された。

退職者会ニュースの印刷終了

 本日、ようやく退職者会ニュースの7月号の印刷・紙折りが終了。
 午後から作業を開始する予定であったが、正午前から開始した。A3の片面印刷は順調に完了。インクが紙に馴染むまでしばらく置いてから裏面の印刷を開始、1000部のうち残り100枚までは順調に進んだものの、そこで印刷機に紙詰まりが発生。残り100枚刷るのに機械が3回ほどストライキ。その都度機械の中に手を差し込み詰まった紙を取り除く作業。一回とまるごとに4枚ほどを取り除くために5分以上ロス。
 さらに紙折り機のご機嫌が悪く、10枚折ると2枚はズレて使い物にならない事態が発生。結局100枚を増刷して、1000枚近くを3人で半分に折った。
 今回は両面で18枚挿入した小さな写真も鮮明に印刷できたし、文章も満足できる内容であった。割付も印刷の出来も満足したが、紙折りがきれいに出来なかったのが悔やまれる。
 新聞の外にイベントのお知らせのA4両面のチラシ2種を各々1000部印刷して作業を終了した。
 16時に組合の会館を出たときはまだ陽射しが強く、クラクラする中を歩いて最寄り駅へ。喫茶店で冷たい飲み物を喫している内に、疲れが出てウトウトとしてしまった。

 19時間際になってようやく帰宅。私の帰りが遅いので、妻はしびれを切らして先に夕食を食べていた。

 残念ながら修理に出したプリンターはまだ戻ってこない。これから私の属するブロックのニュースを作りたいが、印刷が27日の幹事会までに出来上がるのだろうか。プリンターが戻ってこないならば、モノクロ印刷にせざるを得ない。綱渡りの日程である。

 明日の午前中はオンラインの美術鑑賞講座。

「江戸問答」第1、第2章から



 「江戸問答」(田中優子、松岡正剛)の第1章・第2章は、絵画作品・絵画の歴史も取り上げており、とても興味深く、じっくりと読ませてもらった。

(田中)私は江戸時代の哀感と明治以降の哀感とはかなり違うと感じる。風景画を見るとよくわかる。明治時代の浮世絵師小林清親の作品ではこういうものは、江戸時代にありそうでないんです。広重の夜景の人物にはちゃんと役割がある。ところが清親の作品では人物の手がかりが何もない。主人公も役割をもった登場人物もいない。その分だけ誰にでも共通する何かがある。江戸時代の「分」の社会の崩壊が起こって、みんなの目標が同じになったのが明治。立身出世の階段はたれでも上がれるんだという社会になった。」(要旨、第1章)
 この部分の指摘はきわめて興味深かかった。こういった目で明治以降の版画・新版画の世界を再度見直したい。

(松岡)鉄道と郵便と印刷が代表する近代化の類化の技術と、そういったものによる風景や人々の変化を小林清親やなどの明治の浮世絵師は敏感に察知していた。」(第1章)
(田中)気になるのはどうしてそういう近代をあらわした清親のような風景画のなかに哀しみがあるのか。福沢諭吉にはないけれど、清親のような画家たちにはある。変化していく江戸-東京という現実に何を見ていたのかといえば、そこで失われたものを見ている眼差しがある。それか哀感につながっている。」(第1章)

(田中)大別すると、中国から入っ繰る清朝のリアリズム(南蘋派)とオランダから入ってくるアムステルダムのリアリズム(プロテスタント系)と、江戸時代の絵師たちが開発した日本のリアリズム(浮世絵等)、三通りあった。小田野直武・佐竹曙山に代表される秋田蘭画などがその三つを総合するわけです。」(第2章)
 この指摘も私はいいアドバイスをしてもらったと思った。これまで言葉にならず、整理できていなかったが、このように表現できるのか、と納得した。

(松岡)浮世絵のような形式はどうして生まれたのか。浮世絵はそれまでの大和絵とは全く違うもの。」(第2章)
(田中)それが謎。」(第2章)
(田中)浮世絵を見るときは作家主義でみないほうがいい。その裏には必ずディレクターがいる。版元は単なる商売人ではなく、ディレクター。一人ひとりに注目しすぎて作家主義に陥ると、文化のネットワークがわからなくなるんです。」(第2章)

 本日から第3章に入ったが、次回以降に。

 

神奈川一水会作家展

 私の中学・高校時代の美術の教師であった菊地洋二先生の作品を見に出かけた。卒業以来、同期で横浜市に就職した中で、当時の同窓生は私を含めて7人のつながりと連絡は相互にあったものの、それ以外の学校とのつながりはなかった、というよりも自分から避けていた。
 しかし30代の半ばになった時、学校で労働争議があり、菊地先生が組合の三役をされていることを知り、また在学時代にとても世話になった先生がいづれも組合員ということもあり、支援に駆け付けた。
 市役所の中で組合役員をやっていた私ともう一人、そして県庁に勤めていた先輩の組合役員と3名で、「労組」としての支援を担った。争議は、私の入学時の面接を勤め、卒業証書の発行者であった校長の夜逃げ同然の逃亡で勝利したが、それ以来、菊地先生とは手紙のやり取りと、展覧会会場での挨拶を続けている。
 会期末の昨日、川崎駅構内の「アートガーデンかわさき」を訪れ、挨拶を交わしてきた。

 上の写真は菊地先生の作品「赤城の秋」(左)と「トンビ磯(葉山風景)」(右)。神奈川一水会の事務局を担っているとのこと。
 淡い色彩や輪郭は変わらないが、年を経るに従い少しずつタッチが変わってくる。今回は陽が当たる波頭の表現が気に入った。

 会の代表されている一の瀬洋氏の「コンポジション/ALPS」も気に入った作品であった。

川崎大師風鈴市

 川崎駅北口で、「神奈川一水会作家展」(別項)を見たのち、暑い日差しの中、川崎大師の風鈴市に出かけた。何年も前に4回ほど訪れて、4つの風鈴をそろえた。竹炭・南部鉄・石・ガラスなどの素材が我が家の天井からつねに吊るされている。冬でも人が動くわずかな空気の揺れでなることもある。夏には扇風機とクーラーの風で涼しい音色が良く響く。特に南部鉄・石・竹炭微かな澄んだ音が嬉しい。

 久しぶりの風鈴市だったがあまりの暑さに閉口。風鈴市にたどり着く前に古い甘味処で涼んだ。ここは麩まんじゅうと久寿餅(くずもち)ともに妻のお気に入り。
 風鈴市では、琉球グラスの風鈴などガラスの美しい風鈴に見とれたものの、値段がかなりたかかったので、購入は断念。しかし見て回るだけで十分楽しめた。
 帰途、涼んだ店で麩まんじゅうと生麩のしぐれ煮を購入してみた。風鈴がお菓子と酒の肴に化けたようなもの。

     

 





蒸し暑い

 結局私の住んでいる地域では雨は降らずに済んだ。15時前位から空が少しだけ明るくなり、「レベル4 大雨危険警報」は「レベル2 大雨注意報」へと変更になった。同時に出ていた「レベル4 土砂災害危険警報」も解除になった。
 遠い雷鳴もいつの間にか聞こえなくなり、ミンミンゼミの声が少しばかり大きくなった。

 読書タイムを楽しみにしていたら、妻から買い物を頼まれていたことを思い出し、歩いて20分ほどのスーパーへ買い物へ。高い湿度の中、ハンカチを忘れて歩いたら、汗だくになった。予定外だったが、スーパーでタオル地の安いハンカチを購入。
 重いビニール袋を抱えてよたよたし、汗を拭きながらようやく帰宅。妻は雷にも雨にも会わず、入れ違いに先に帰っていた。しかし私以上にやはり重い買い物袋を抱えてリビングルームのテーブルの上は購入したもので溢れていた。

 帰宅後は昨日に続いてシャワーでひと息。