Fsの独り言・つぶやき

横浜市在住。一応理系卒。音楽・美術・文学・政治などをつぶやく。60歳定年退職。膝・腰痛で登山を65歳で断念。現在は街中ウォーキング。

「いま、被災地から」展(藝大美術館) その2





 まずは宮城県美術館岩手県立美術館の収蔵品で懐かしく再開したものから、松本俊介の「画家の像」(1941)、「山景(岩手山)」(1928)、「盛岡風景」(1941)の3点。「山景(岩手山)」は松本俊介が16歳の時の作品だが、松本俊介らしいタッチである。「盛岡風景」は「画家の像」と同じ1941だが、同じ画家の手になる作品とは思えないと以前見た時も感じた。二つの作品、気分としては対照的な作品である。画家が構図だけでなく、色彩効果にも大いなる関心を示していたと了解した作品でもあった。



 また荘司福の作品も宮城県美術館にいくつかあったはずである。実はこの「祈」のポストカードを手に入れたいのだが、ミュージアムショップで探したがなくて断念していた。次回仙台を訪れたら再度探して手に入れたい。荘司福は仙台を離れた後、横浜に住んだようで横浜美術館にも作品が2点はある。庄司福の作品をはじめて見たのはここの宮城県美術館であった。



 おなじ宮城県美術館では佐藤忠良の彫刻作品を常設している。「帽子・夏」(1972)は代表作と教わった。



 岩手県立美術館には萬鐵五郎の「赤い目の自画像」(1913頃)もある。これは何度見てもはっと驚く色彩と構図である。あまり知識はないのだが、こういう大胆な作品を描くことに興味をそそられている。いつかは調べてみたい。かなり昔になるが、花巻市に今もある「萬鉄五郎記念美術館」を訪れたことがある。そのときはまだあまり関心がなく、記憶がほとんどない。もったいないことをしたと今では後悔している。洲之内徹は「孤独」という言葉をキーワードにして萬鐵五郎を論じている(絵の中散歩)。もう一度読み返してみよう。

      

 福島県立美術館からは関根正二の「姉弟」(1918)に再会できた。これも洲之内徹が触れている。二十歳で夭折した福島県白河市出身の画家。「神の祈り」と同時に展示されていた、こちらの現物は初めて目にした。
 このような静謐な作品が私の好みである。



 福島県立美術館では斎藤清の作品が多数収蔵されている。今回は「会津の冬」のシリーズの内#1と#26を見ることが出来た。このシリーズを以前に全点だったか、ほとんどだったか記憶が曖昧だが、見たと思う。私はこのように深い雪に埋もれて暮らした体験はない。しかしそれでいて懐かしく暖かみを感じたと思う。雪の柔らかい曲線が魅力である。実際には厳しい冬と雪である。このように昇華してしまうことには私は違和感もないではないが‥。

 先ほど触れた関根正二の「神の祈り」以外で、今回初めて見たと思われる作品で印象に残ったをいくつか。



 まづは澤田哲郎(1919-1986)の「小休止」(1941)。この作品にはとても感銘を受けた。2時間ほどいた会場で3度ほど見に行った。まず目につくのが、白い服と細い裸足の脚と黄色い帽子の縦の線。顔は描かれていないが、かえって表情豊かに見える。リヤカーの車輪と四角い荷が重みを感じさせる。特に特徴的なのは遠近法を無視し湾曲した牽き棒。これによって人間と荷がともに大きくクローズアップされている。夕方と思われる強い西日、一日の労働を終えたか終える寸前の疲労が伝わってくる。もうひとつ不思議なのはリヤカーの影が車輪部と荷の部分が一緒になっていること。左から日が当たるとすると左の車輪部の影は車輪の形になっていないとおかしい。そして何より人間には影がない。しかしこれがかえって人間を浮き上がらせているし、荷の重みも強調している。大胆な省略と歪みが成功していると思った。
 もしも岩手県美術館にまた行く機会があれば、この画家の他の作品も含めて注目してみたいと思った。以前にもひょっとしたら見ていたかもしれないが、見落としていた可能性がある。私にとっては新しい発見があり、嬉しかった。



 個人蔵である橋本八百二(1903-1979)の「津軽石川一月八日の川開」(1943)。人間の引く力の強さと青い鮭の重みと人間の集団作業の熱気に惹かれた。
 解説によると交流のあった藤田嗣治の「アッツ島玉砕」とともに血戦美術展に出品され、青森・岩手を巡回した作品とのことである。この画家にも興味を惹かれた。



 次に印象に残ったのは、松田松雄(1937-2001)の「風景(民-A)」(1977)。人々が押し黙って黒い布を被り、個性を隠すようにして大勢で座り込んでいる。座り込んでいるのは雪の上か砂浜か、背景も大地も詳細が省かれている。黒い塊が人と認識できるのは真ん中の黒い塊が微かに描かれている目のあたりの白い線と丸い背中暗いだろうか。一見海岸のテトラポットにも見える。
 私が仙台を離れた1975年の直後にこのようなに押し黙った民衆像が画家の脳裏に存在したということにまず驚いた。初めは東北の「耐える」民衆像を固定観念として押し付けられたのか、との疑念もあったが、そうだとするには存在感がありすぎる。どこか現実に繋がる回路をもった民衆像に見える。まがい物には見えなかった。

             

 その他、若松光一郎(1914-1995)の「ズリ山雪景」(1956、いわき市立美術館)、佐々木一郎(1914-2001)の「帰り路、松尾銅山(長屋)の夕暮」(1975-82、岩手県立美術館)、蒲田正蔵(1913-1999)の「鳥が落ちる('86.4.26の記録、郡山市立美術館)、狭間二郎(1903-1983)の「東北の野」(1940、宮城県美術館)、橋本章(1919-2003)の「武装する都市」(1979、福島県立美術館)などが印象に残った。




 修復された作品では石巻文化センター所蔵の高橋英吉の作品群。「海の三部作」の「潮音」「黒潮閑日」「漁夫像」はテレビで見ただけだった思うが、あらためて彫刻の人物像というものの存在感に圧倒された。修復され復元されたことを記憶にとどめたい。

 

 また有名な猪熊弦一郎の「猫と頭」(1952、陸前高田市立博物館)も被災し修復を終えた作品として展示されていた。

 

 この壺、私は陶器にはあまり接することはないが、とても美しいと思った。震災で釜が損壊し、後継者が無く、存続が危ぶまれているとのことが記されていた。