時代が17世紀以降に下るが、なぜかホッとするものがある。インドの仏像が当初は静かな瞑想とはいえ対する相手を硬質な言葉と表情で説き伏せるエネルギーを感ずる。あるいは大乗仏教・密教となると表情が躍動的で憤怒の相も現われ、ある種猥雑で雑踏の中の人間の博物館のような表情である。これらとも大きく違っている。
おなじ静かな瞑想であっても柔らかな柔軟さを感じる。ひょっとしたら円空仏の微笑みともどこかで通じるような笑みである。人間の存在そのものに対して肯定的な印象を受ける。

特に82番の19世紀のミャンマーの仏像に親近感を抱いた。

84番は17世紀。前作より2世紀前の作品である。前作より表情は硬いが、口の端の微笑みは人びとに寄り添うような微笑みに見えないだろうか。木製だからそのように感ずるのだろうか。

85番の作品は18世紀にミャンマーに併合された地域の弥勒菩薩像である。きれは少し厳しい表情である。つりあがった眼が意志の強さと不退転な芯の強さを感じた。真鍮製である。これまでが石像だから金属に特有の肌合いから怜悧な感じがするのかもしれない。表情の違いは材質なのか、地域差なのか、まだ私には判断できない。