
「「むなしさ」の味わい方」(きたやまおさむ、岩波新書)を昨日読み終えた。
「心のスペースは無限であり、すまないもの、未処理のものをそのまま置いておける「溜め池」のようなものがある‣‣‣‣。イライラやモヤモヤといったすっきりしない気持ち、不純や矛盾を抱えた感情などが、心の中にはたくさんうずまいています。現われては消え、消えてはまた現われる。‣‣‣白か久米嘉すっきりさせようとして焦り、もがき、すっきりしないので、徒労感としての「むなしさ」が訪れる。その「むなしさ」を何とかしようとして、さらにもがき苦しみ、耐えられない空虚感に襲われる。」(第4章「「むなしさ」はすまない」)
「白黒思考には、そうした心の消化管などないようにみえ、白か黒かに割り切れない状態に弱いのです。未処理のものを心に置いておけず、吐き出してしまいたい、そうするしかないと思いがちです。‣‣‣‣多くの人は不満は決して吐き出したわけではなく、心の片隅へと置くことで、やり過ごしているのです。」(第4章「「むなしさ」はすまない」)
「本書は、蔓延していると感じる「むなしさ」につき、自己分析を踏まえ、日本語・日本文化や現代社会を見据えながら書いた。もちろん最近の私の一般向け書物と同様、フロイト理論や精神分析の対象関係論の考え方を生かしている。「むなしさ」を感じたなら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば詩文で考えてみたらと提案している・・・」(あとがき)
「白黒思考」に陥って、立ち行かなくなり、オロオロしてしまった経験がゼロである人はほとんどいないであろう。とくに最近は仕事でも、商品の選択でも、医者の問診でも「イエス・ノー」の選択による作業や判断材料がこれでもかこれでもかと突きつけられる。
「ゼロ・イチ」の指向、「パソコン思考」などと揶揄している50年前はまだゆとりがあったが、現在は「ゼロかイチか」に当てはまらない思考・選択は、もはや歯牙にもかけられない時代である。そんなところに固執する人間の思考は、排除される。そんな社会になってしまっている。