
後期の展示にあった蔬菜群虫図。解説ではおおよそ次のように記されている。
「胡瓜、茄子、蛇苺を配置し、雀や赤蜻蛉、玉虫をさりげなく散りばめる構図は、若冲の動植綵絵にも類例(池辺群虫図)がある。中国からもたらされ室町以降流派を超えて描かれてきた。抱一にも類例がある。茄子・胡瓜のいずれも蕾から大きな実まで連続的に描く点は注目される。朝顔図屏風にも通じる要素で、植物の生態のリズムや輪廻を示唆する。」
若冲の作品というのは「池辺群虫図」を指すものと思われる。若冲の作品との類似点は、深い緑の大きな葉である。また若冲の薄い緑色の瓢箪型の身の代わりに胡瓜と茄子と苺という実が配されている。

相違点は当然多くあるが、特徴的なのは胡瓜と茄子と苺に蕾から花、初期の実から熟れた実までが表現されている点。解説では時間の経過が含まれていると表現されているが、一つの株にさまざまな形態が混在するので植物に着目する限り、一概に異時同図とはいい切れないと思う。しかし変化に着目していることは確かであろう。
さらに大きな違いは、若冲は蛙の生態に着目している。同じ蛙を幾体も描き、さらにお玉杓子を描いている。卵やお玉杓子の形体変化は描いていないので、二つの形態のみである。一応蛙の形体変化という時間軸は描いてるが、時間の推移という意識は希薄だと思われる。さらに蝶と蜻蛉、蝉を除いて蛇、蜥蜴、蝸牛、百足、家守、蜘蛛などどちらかというとあまり歓迎されないものの占める割合は高い。おそらく釈迦三尊像を中心とした浄土世界という宗教的な救いの世界のひとつでもあるのが、其一の群虫図との差であると思われる。
其一の群虫図は三種の植物のほかは雀をてっぺんに描き、食物連鎖の頂点に雀を配置している。動物は若冲の蛙のようにいくつもの固体は描いていない。若冲の群虫図がいわゆる虫が中心であることに比して、其一の作品は植物の諸相が中心的な主題であるといえよう。
また両者ともに赤蜻蛉が描かれているが、其一の方が赤蜻蛉は目立つ。この赤蜻蛉1匹で虫の現われ方の季節的な変化を象徴させているのだろうか。
さらに根や土がこの作品では省かれている。朝顔図屏風と同じである。支えの笹も宙に浮いている。根なし草のようでもあるが、細かい苺の葉の描き方で、安定感を確保しており、どこか不思議な印象を受ける。
私は其一の作品の特徴はその配色の妙であると思う。苺の赤を底辺に4つ並べ、赤蜻蛉の赤を上位に1点のみ置いてバランスを取っている。
また茄子の実の藍と花の薄い紫が下半分を覆い、上辺に胡瓜の黄色い花が対照的に配されている。頂点には食物連鎖の頂点である雀が白い腹を見せて配置されている。茄子の実のヘタの周囲の白、茄子の花の白い縁取り、胡瓜の花の縁の白と、白味が上に行くにしたがい強調されているように見えるのは私の錯覚だろうか。
若冲の色の配置の特徴は、白い花と白い蛇と蛙の白い腹。そして葉の深い葉と実の薄い緑、この3種の色が円環を為している。これも面白味があるが、色のバランスという点では私は其一の色彩感覚の方が好みである。
さらに朝顔図屏風や藤花図で触れたが、蔓の絶妙な配置が空間の広がりをより大きく見せていると思う。
あくまでも私の好みでいえば其一の方がより計算しつくされた画面に見える。デザイン性に富むだけでなく生命力に満ちている。それはデザイン性と相反する概念に思えるにもかかわらず、其一の作品は生命感や躍動感も横溢するように見てしまう。